幼少期
私には3歳年の離れた姉がいます。
その姉が当時オルガン教室のグループレッスンを習っていて、母に連れられて私もレッスンを見ていました。
そこで私も習いたくなったのか記憶はありませんが、オルガン教室へ数ヶ月程通いました。(オルガン…昭和ですね)
その後姉がオルガン教室を修了してピアノを習い始め、私もピアノを始めました。
最初に使った本を見てみると5才の11/6からと書かれてありました。
なぜ中途半端な11月から始めたのか不思議なのですが、その時の事を何も覚えていないので謎のままです…
当時の事を振り返ってみると、とにかくピアノの個人レッスンになってホッとしていたと思います。
なぜかというとオルガン教室のグループでは、タンバリンや鈴を持って3〜4人で1列になって先生の弾くピアノに合わせて教室の中を練り歩くというのがあったのですが(笑)
私はこれがすごく嫌で、心の中で「どうしてこんな事しなきゃならないんだろう⁇」と思いながら仕方なくトボトボ歩いていたのを強烈に覚えているからです。
全然曲に乗り切れていなかったんでしようね…妙に現実的な子供でした。
家にアップライトピアノがやって来た!
今までのオルガンとは違い、黒くて大きくて、部屋の中でもかなりの存在感!
さてここから、姉と私とのピアノ争奪戦の始まりです。
お互いピアノに見向きもしない時もあれば、1人がポロンと弾き始めると、なぜか急にもう1人も弾きたくなって練習の邪魔をする、という事がよくありました。
毎日弾くというよりも、気が向いた時に何時間も弾くタイプでした。
そして小学校高学年頃、TVで流れてくる「異邦人」を真似て好き勝手に弾いたり、学校でも弾いたりして楽しんでいました。
母親によく「そろそろピアノの本の練習しなさいよ〜」と言われて渋々練習を始めていました。
中1の頃、今まで習っていた優しい女の「先生の先生」に習うことになり、汽車で30分の隣町の教室まで通うことになりました。
しかもとても怖い…いえいえ…厳しい男の先生でした。
私も子供心に「これは大変な事になったゾ。真面目に練習しなければ本気で怒られる!」と危機感を抱き、ハノンはしっかりメトロノームに合わせ、ツェルニーは途中で絶対に止まらないように猛練習、苦手なバッハの譜読みも丁寧に取り組みました。
もちろんこの時期にたくさんの作曲家の曲も弾きました。
高校生から音大時代
そんな私も高校生になると、なぜか心に余裕が生まれ練習をサボり気味になり、ある時先生に「お前がこっちを向いていないと先生もそっちを向けないんじゃ!」(本当にこういう口調でした)と本気で怒られ、ハッと目が醒めました。
そこから再び真剣にピアノと向き合う事が出来ました。
残念ながら2年ほど前に恩師は亡くなってしまいましたが、あの時の言葉がなければ、私は音大にも行かずピアノ講師にもなっていなかったと思っています。
その後その恩師のお陰で無事音大に受かり、東京(寮は埼玉)生活の始まりです。
実は高3の時、夏期、冬季講習にも参加していたので、その時にも寮生活を実際に体験していました。
そこで知り合った友達が何人も合格していたので、最初から心強かったです。
大変だったのは、朝の電車のラッシュでした。
ダダダーっと押されながら電車に押し込まれ車内でもギューギュー詰めで毎朝通うのはなかなか慣れませんでした。
寮生活では食事やお風呂の時間は何時まで等決まり事の多さに驚きましたが、練習室で前後の部屋から聞こえてくるピアノの音がすごい騒音で、譜読みの時は自分が何を弾いているのか訳が分からなくなるのが大変でした。
それでも、友達や先輩達と楽しく過ごし、先生からは多くのことを学び、本当に充実した4年間でした。
様々なリサイタルに行きまくり感銘を受けたのも素敵な経験でした。
ピアノ講師となって
卒業後北見に戻り、早速ピアノ講師としての生活が始まりました。
初めて通った教室は日本一寒い町と言われているその当時自宅から50キロ程離れた町の教室でした。
人口もさほど多くはなかったのですが、なぜかそろばんや習字の感覚で習っているようで、生徒数がすごく多くて驚きました。
週2日で25名…最初の頃は声がガラガラになりました。
そしてたくさんの生徒さんに出会い私も色々と学ばせていただきました。
その教室は誰も住んでいなくて、古い一軒家をピアノ教室として借りていたので、冬場は1時間以上前に教室に行き、まずストーブを付けて部屋を暖めるところから始まります。
ストーブの上のやかんには湿度を保つべくお水を入れていましたが、なんとその水はカチンコチンに凍っていました!
0℃以下の室温って⁇ と北海道生まれの私でさえ驚きました!
その他に楽器店の教室にも通っていました。
その中のジュニア科卒で小3でピアノに移って来た生徒さんが、大人になっても習いに来てくれていた事もありました。
その後遠くに引っ越してしまったのですが、友達の生徒さんを紹介してくれたり、今ではその生徒さんのお子さんが習いに来てくれています。
そして去年は友達親子と一緒に会いに来てくれて懐かしい話で盛り上がりました。
どんどん縁が広がっていくんだなと嬉しくなりました。
独身の時は身軽に地方の教室や出張レッスンなどで週6日、車で通っていました。
結婚後は、仕事終わりで帰ってくる時間が遅いのと、北見に引っ越して更に教室が遠くなってしまった事もあり、地方の教室を他の先生に引き継ぎ生徒達をお願いしましたが、小さな時から何年も関わって成長をみて来た生徒さん達との別れは、本当に寂しかった事を覚えています。
さて、その後自宅で細々と教えていた生徒さんの中で、譜読みが苦手な生徒さんが2人現れました。
色々な角度から説明したり音符カードを使ったりするとその時は分かるのですが、本質的に理解できない様子です。
今までの経験で増えて来た引き出しを探ってあの手この手で試してみても、何かピンと来ていない2人をみて、自分の指導法はこのままでいいのかなと疑問に思い、その後私が大きく動くきっかけとなりました。
素晴らしいメソッドとの出会い
そして色々な教材を調べたりするうちに、ピアノ演奏のためにはたくさんの小さな要素が組み合わさって初めてスラスラと読譜が出来る、という事がわかりました。
鍵盤の右側に行けば音は上がっていくとか、左側に下がる時はドシラソファと瞬時に思い浮かぶこと、一つ跳びの音が言えるか?右手左手や指番号が、すぐに反応出来るか?弾きながら少し先の音符をしっかり目で追えるか?など掘り下げていくと、ここに書ききれないほどたくさんのことが絡み合ってピアノの演奏が成り立っていたのです。
脳の中ではすごい処理が行われた結果、ピアノの鍵盤を指令通りに演奏しているというわけです。
そのたくさんある要素を取りこぼさないようにレッスンしていくことが大切だと気づきました。
先程の2人の生徒さんの保護者の方とも相談して、譜読みの力がつくレッスンに切り替え
毎週いろいろなことに取り組んだ結果1〜2年かかりましたが、2人ともどうにか譜読みが出来るようになりました。
今思えば、この2人の生徒さんのおかげで私の学びのスイッチが入ったんだと感謝の気持ちで一杯です。
それから導入期の指導が本当に大切だということがわかり、より良いレッスンに結びつくよう改めて指導法を学び始めました。
今までの私は、幼児さんだからこれはまだ難しくて出できないから、教材が進んでからやってみようという思い込みがありました。
でも幼児さんでも導入期から伝えられることはたくさんあるということを学び、実践してみると予想以上の反応があり、本当に驚きました!
子供の可能性ってすごい✨
こちら側が制限をかけていてはいけないなと改めて思いました。
今はSNSで情報がすぐに得られ、オンライン化も進み、自宅で簡単に学べる環境が整って来ています。
世の中のピアノのレッスンも日々進化し続けています。
生徒さん達がキラキラした笑顔で通っていただけるよう、私も学び続けていこうと思っています。